[平清盛]安徳天皇社
大河ドラマ「平清盛」では、いよいよ平氏が隆盛をきわめています。
清盛は平家の流れをくむ天皇を誕生させるために
娘の徳子を高倉天皇に入内させ、望んだとおりに
安徳天皇も誕生しました。しかし、平氏の天下は長くは続かず、
各地で反撃ののろしが上がる中で
清盛は新体制づくりを完成させることなく病没することになります。
日宋貿易で得た莫大な富を背景にしたこの世の春。
「平氏にあらずんば人にあらず」と言うほどの繁栄は、
その後の都落ちと滅亡をより悲劇的に彩ります。
平氏の没落をより哀切にするのが、平氏の希望だった
安徳天皇の存在でしょう。
権力闘争に巻き込まれ各地を転々としながら、ついには
わずか6歳で入水することになった悲運の帝を悼んでか、
「安徳天皇は生きて地方に落ち延びた」
という伝説も各地に残されているようです。
屋島には、そんな安徳天皇にゆかりのある社があるのをご存知でしたか?
長江SORAEに屋島の東側から向かっていると、
道の途中にあるY字路の分かれ道に石の道しるべがあります。

この左側の道をつきあたりまで進むと見えてくるのが「安徳天皇社」です。


解説によると、1184年の一の谷の戦いで敗れた平宗盛が
安徳天皇を奉じて屋島に落ち延び、この地に行宮(あんぐう)をかまえたそうです。
行宮そのものは源氏に焼き払われ、その跡に安徳天皇社が建てられたといいます。
今から800年以上前に、この屋島が仮の"都"だったと考えると不思議ですね。

境内の奥には、屋島の合戦で散った武士たちも供養されていました。
清盛は平家の流れをくむ天皇を誕生させるために
娘の徳子を高倉天皇に入内させ、望んだとおりに
安徳天皇も誕生しました。しかし、平氏の天下は長くは続かず、
各地で反撃ののろしが上がる中で
清盛は新体制づくりを完成させることなく病没することになります。
日宋貿易で得た莫大な富を背景にしたこの世の春。
「平氏にあらずんば人にあらず」と言うほどの繁栄は、
その後の都落ちと滅亡をより悲劇的に彩ります。
平氏の没落をより哀切にするのが、平氏の希望だった
安徳天皇の存在でしょう。
権力闘争に巻き込まれ各地を転々としながら、ついには
わずか6歳で入水することになった悲運の帝を悼んでか、
「安徳天皇は生きて地方に落ち延びた」
という伝説も各地に残されているようです。
屋島には、そんな安徳天皇にゆかりのある社があるのをご存知でしたか?
長江SORAEに屋島の東側から向かっていると、
道の途中にあるY字路の分かれ道に石の道しるべがあります。

この左側の道をつきあたりまで進むと見えてくるのが「安徳天皇社」です。


解説によると、1184年の一の谷の戦いで敗れた平宗盛が
安徳天皇を奉じて屋島に落ち延び、この地に行宮(あんぐう)をかまえたそうです。
行宮そのものは源氏に焼き払われ、その跡に安徳天皇社が建てられたといいます。
今から800年以上前に、この屋島が仮の"都"だったと考えると不思議ですね。

境内の奥には、屋島の合戦で散った武士たちも供養されていました。